雨降り夜。
何の変哲も無く毎日が穏やかに過ぎていきまくるせいか、
ここんとこブログのネタらしいネタもありゃしません。
起きて働いて食って働いて帰って食ってマンガ読んで寝て起きてを繰り返し。
(最近は幻の大地を走りこんでいますが)
そら更新も滞るってもんです。
でもそれではいけない。
何かネタを探さなくてはドルドルと時間は過ぎ去ってしまう!
そうだ。
日常しかないというのならば、もっと日常に目を向ければいいのさ。
そうだそうだ。
人生、此れ即ち日々は日常の積み重ね。
日常こそが営みの基本。
ネタが無いというのならば、日常の中からネタを出せばよい!
ということで、私の日常を彩るなんかその辺の物たちをネタにすることにしよう。
ということを、さっき風呂に入っているときに考え付きました。
題して「全ては日常から」。
題したところでいつまでもつのか、いつまで続くのかは全く未知数全く思いつき。
でもいいさ、それが日常ってやつなんだから・・・さ・・・。
ということで(3回目)、栄えある第一弾は目覚まし時計。
私を毎朝たたき起こしてくれるある意味宿敵。
でも昨日の敵は今日の友、な大事な目覚まし時計です。
こいつとの出会いは遡る事8年前。
高校一年生の夏休み、(後に大変お世話になる)オーストラリア・アデレードへ学校の短期留学に行く関西国際空港の出発ロビーの売店で購入したもの。
緊張と期待と緊張でわくわくした若かりし女子高生の私は、ふと「目覚まし忘れた!」ということに気付く。
今から思えば、「携帯使えよ」と嘲笑失笑で終わるところですが、当時の私には大問題。
壊滅的・世紀末的に朝に弱い私が一人で起きれるわけなんて全く無く、焦った私は目に飛び込んだ売店で一も二もなく↑を購入。
(免税の癖におそらく千円近くした・・・。空港マジック・・・!)
以来、こいつとの戦いは現在まで続くわけです。
見た目どおり「目覚まし時計」以外の機能は一切搭載されておらず、愛想もクソもない「ピピピピ」という気の抜けた音しか鳴らない、デザイン性も皆無な↑ですが、
買い替えもせず、使い続けて8年目。
もちろん、2度目のアデレード行きにも随行。
いつもいつも私の枕元には↑がいるのです。
そうまで気に入っているのなら、↑の音で目覚めスッキリなのかというとそうでもなく。
むしろ↑で起きたことは8年間で数えられる程度しかないんじゃないかという体たらく。
「うるさい」、「どうせ起きられないんだったらセットするな」という家族の苦情陳情に「うん・・・だよね」と弱気な答えを返しつつ、今日も私は↑をセットして眠りにつくのです。
全く・・・一体何の意味が・・・。
ある種の儀式となっている感バリバリ。
(しかも休みの日には後ろのネジを回して律儀に目覚まし設定を変えるのです)
本人すら意味を失いかけておりますが、↑とは今後とも長い付き合いになりそうです。
意味が分からなくなっても、ついついやってしまう。
これってまさに日常!
もう↑のあまりのストイックな佇まいに一種、威厳すら感じてしまいそうです。
毎朝律儀に起きない私を起こし続ける↑は、明日も(無意識の)私にたたき起こされることでしょう。
(しかもしかも、今は携帯のアラームがメインで自堕落な私を起こしてくれているので、存在意義の消失に拍車がかかっております)
私たちの戦いは続く。
ここんとこブログのネタらしいネタもありゃしません。
起きて働いて食って働いて帰って食ってマンガ読んで寝て起きてを繰り返し。
(最近は幻の大地を走りこんでいますが)
そら更新も滞るってもんです。
でもそれではいけない。
何かネタを探さなくてはドルドルと時間は過ぎ去ってしまう!
そうだ。
日常しかないというのならば、もっと日常に目を向ければいいのさ。
そうだそうだ。
人生、此れ即ち日々は日常の積み重ね。
日常こそが営みの基本。
ネタが無いというのならば、日常の中からネタを出せばよい!
ということで、私の日常を彩るなんかその辺の物たちをネタにすることにしよう。
ということを、さっき風呂に入っているときに考え付きました。
題して「全ては日常から」。
題したところでいつまでもつのか、いつまで続くのかは全く未知数全く思いつき。
でもいいさ、それが日常ってやつなんだから・・・さ・・・。
ということで(3回目)、栄えある第一弾は目覚まし時計。
私を毎朝たたき起こしてくれるある意味宿敵。
でも昨日の敵は今日の友、な大事な目覚まし時計です。
こいつとの出会いは遡る事8年前。
高校一年生の夏休み、(後に大変お世話になる)オーストラリア・アデレードへ学校の短期留学に行く関西国際空港の出発ロビーの売店で購入したもの。
緊張と期待と緊張でわくわくした若かりし女子高生の私は、ふと「目覚まし忘れた!」ということに気付く。
今から思えば、「携帯使えよ」と嘲笑失笑で終わるところですが、当時の私には大問題。
壊滅的・世紀末的に朝に弱い私が一人で起きれるわけなんて全く無く、焦った私は目に飛び込んだ売店で一も二もなく↑を購入。
(免税の癖におそらく千円近くした・・・。空港マジック・・・!)
以来、こいつとの戦いは現在まで続くわけです。
見た目どおり「目覚まし時計」以外の機能は一切搭載されておらず、愛想もクソもない「ピピピピ」という気の抜けた音しか鳴らない、デザイン性も皆無な↑ですが、
買い替えもせず、使い続けて8年目。
もちろん、2度目のアデレード行きにも随行。
いつもいつも私の枕元には↑がいるのです。
そうまで気に入っているのなら、↑の音で目覚めスッキリなのかというとそうでもなく。
むしろ↑で起きたことは8年間で数えられる程度しかないんじゃないかという体たらく。
「うるさい」、「どうせ起きられないんだったらセットするな」という家族の苦情陳情に「うん・・・だよね」と弱気な答えを返しつつ、今日も私は↑をセットして眠りにつくのです。
全く・・・一体何の意味が・・・。
ある種の儀式となっている感バリバリ。
(しかも休みの日には後ろのネジを回して律儀に目覚まし設定を変えるのです)
本人すら意味を失いかけておりますが、↑とは今後とも長い付き合いになりそうです。
意味が分からなくなっても、ついついやってしまう。
これってまさに日常!
もう↑のあまりのストイックな佇まいに一種、威厳すら感じてしまいそうです。
毎朝律儀に起きない私を起こし続ける↑は、明日も(無意識の)私にたたき起こされることでしょう。
(しかもしかも、今は携帯のアラームがメインで自堕落な私を起こしてくれているので、存在意義の消失に拍車がかかっております)
私たちの戦いは続く。
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