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雨降り夜。
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KOTOKO に行って来ました。

最近はなんでもかんでも衝動のままにTwitterで呟き散らかしてるけど、KOTOKOで感じたことはじっくり反芻したかったので、こちらに。

ゴリゴリネタばれるし、散漫なので…すいません。





琴子が田中に歌う「のの様」。
こんなの聴いたら田中は消えるしかないよね…と理由なく思う。
なんでかはうまくわかんないけど、このシーンの直後に消えた田中を見て、「やっぱりなぁ…」と思う。


途中から、琴子がこどもを手にかけてしまわないか…ひたすら怖かった。
(このシーンの間、ベビーベッドを思い出してた)
でも、「こどもが見知らぬところで引きずりまわされるくらいなら、自分の腕の中で看取る」という気持ちは分からなくもない。
ある意味物凄く傲慢な、重すぎる愛。
私にはできない愛し方だけど、よくわからん誰かにぶっころされるより、愛してくれる人の手にかかって死にたいよ。

いやでもこれって消去法の幸せだと思うので、ラストシーンの大二郎の折る青い折鶴と、ばいばい、に救われる。
なんてハッピーエンド、ずるい。
勝手に救われた気になる自分。



正直、観る前は精神のバランスが崩れてしまうほど大事な「こども」、と言う存在がいまいちよく分からなかったので、ちゃんと最後まで見れるかな…と不安もあった。
これはどう足掻いても「もたざる者」には知りえない境地だと思ったので。

でも観ている最中は始終、どうか幸せになっておくれ…と泣きそうになって眺めていた。
そんなに頑張り続けなくてもいいんだよ…!と叫びたくなったのは、多分、育てて貰った「こども」の立場から観てるんだろうなぁ、と今になって思う。

母親って、母親って…恐ろしい役目だなぁ。
(それに気付いたのは母親の手を離してしまった、エクス・こども、だからだろうか(いや、まだか…?)


母親にはならないかもしれない自分。

もしかしたら、一生母親の恐怖を味わうことはないかもしんない。
今だって「子を思う母の気持ち」は思われる側からしかわかんない(思われる側はいつだって身勝手)。

母親は、かつて少女だった女がなるものならば、母親にならなかった元・少女の女は何になるんだろう?
観終わって、ふと、そんな事を思う。


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